独立10年目の振り返りと、これからのミライフ(代表・西山裕子 特別インタビュー)

2022年で独立10年目を迎える代表の西山裕子。新卒で入社したP&G、ゼロからすべてを創り上げたスタートアップ時代、ビジネススクールを経て独立―――。ミライフの“今”に繋がるこれまでの経験をインタビュー形式でご紹介します。(聞き手:八尾里美)

モノづくりや国際的な仕事がしたくてP&Gへ

八尾:
今年で独立して10年目でいらっしゃいますが、10年を振り返るにあたり、これまでのキャリアについてお伺いします。大学を卒業された後1989年にP&Gに入社され2000年まで11年いらっしゃいましたが、最初にP&Gを選んだのはなぜですか?

西山:
モノづくりや国際的な仕事したかったからです。P&Gは部署別採用で、マーケティング部に入れば製品の企画や宣伝に関われること、アイデアも生かせるし、外資系で世界中の人とやり取りできるというのがすごくいいなと思いました。そして女性が活躍できる環境も理由の1つです。私は大学時代から、将来結婚して子どもがいてもずっと仕事したいなと思っていました。当時はバブル期で男女雇用機会均等法ができたころで、女性活躍を謳う企業が多かったのですが、P&Gは女性部長が説明会をされていて、課長や面接官も女性だったので「ここなら、女性もしっかり仕事ができるな」と思いました。

八尾:
女性活躍を謳っていても、実際の現場は男性だらけという場も珍しくないですよね。P&Gは当時から革新的だったのですね。

広告を作るはずが任された仕事はデータ分析。
苦労の連続の中、企業の「脳みそ」となるマーケティングを叩き込まれる

八尾:
P&Gでは新卒でいきなりマーケティング部に入ったので、苦労されたのでは?

西山:
それはもう、苦労の連続でしたよ。当時はマーケティングという言葉が日本ではまだ馴染みがなく、宣伝本部という名前での募集でした。それで、広告や宣伝を作る部署だと思って入ったんです。ところが蓋を開けると、宣伝も作るんだけど、根幹はブランド戦略を考えることだったんです。「シェアを分析しなさい」と、数字だけ書いてある辞書みたいな分厚いデータブックを与えられて。当時はパソコンがないので、それをめくって、読み解いてレポートを書くことが仕事でした。

八尾:
すごい時代ですね。今では考えられないような、まさに日本のマーケティングの初期ですね。そこから今まで、ずっとマーケティングの世界に身を置いてらっしゃるんですね。

西山:
今思うとすごく勉強になったんですが、とにかく何の経験もなかったので苦労しました。マーケティングは、考えに考えて、いかにいいものを作って世に出すか。そして世に出したらその結果を分析して、改善して、シェアを上げて、利益を上げてという、「脳みそ」のようなものです。P&Gでは、マーケティング部が策定した戦略に基づき、実際にどうするかはコマーシャル部門やプロモーション部門が計画し、細かい施策は外部の広告代理店や、販売促進の会社がやっていましたね。

マーケティング部で初の育休を経て復帰するも、思うように仕事ができない

八尾:
退職されるまで、ずっとマーケティング部にいらっしゃったんですか?

西山:
いえ、違うんですよ。マーケティング部にいたときに一人目の子どもができ、部内で初めて育休を取りました。私も周りもこれからどうなるかと思ってたんですが、母親であることを生かしてパンパースに配属され、時短勤務で復帰しました。当時パンパースは主力商品でしたが、他のメンバーは独身の男性ばっかりで・・・。深夜まで働いて「戦略がああだこうだ」って言っていて、いくら母親であっても時間的にきつかったです

そう悩んでいると、新しく来たアメリカ人上司に「西山さん、その母親の経験やインサイトをもっと生かしたら?君はもっとできるはず!」と言われ、パンパース新生児用のリニューアルプロジェクトのリーダーになりました。テレビコマーシャルを作るところから、工場や海外とのやり取りなど全てです。面白いし非常にやりがいある一方、残業や撮影で出張も多くなり・・・ベビーシッターさんにもお願いしていましたが、当時まだ2歳の子どもが不安定になりました。それで会社と相談し、配慮もいただいて、比較的自分のペースで仕事ができるリサーチの部門に異動しました。そこでは、様々なリサーチ手法や分析を学びました。今でも業務に非常に生きていますし、いい機会になりましたね。

とはいえ、リサーチの仕事は非常に緻密で、専門性の高い分野です。「この分野でずっと専門性を追求するのは、向いていないな」とわかってきたんですよ。それで退職することにしました。

1994年のP&G勤務時の様子。お腹に第一子がいたころ

「インターネットを駆使して世界を変えよう!」
アメリカ人上司に誘われ関西にいながら東京のスタートアップへ転職

八尾:
柔軟に異動しながら長い間勤められて、最後はスパッと辞められたのですか?

西山:
もちろん悩みましたが、11年いると大体自分の先も見えてくる。外資なので、ダラダラいられないんですよね。私も、そろそろかなあっていう感じでした。それで転職活動をしたんですが、やっぱり「残業できない」というのが全然ダメで。フリーランスでもいいかなと思い始めたところ、先ほどパンパース時代のアメリカ人上司から「東京に会社を作ろうと思うんだ」と連絡が来まして。彼はP&Gをやめてからコンサルタントになってたんですが、いつか独立するという話は昔から聞いていて「そのときは呼んでね」と、冗談で言ってたら本当に呼んでくれたんです

八尾:
そこに繋がるんですね。

西山:
でも東京ですよ。私は関西で家族と住んでいたので無理だと思いましたが、彼は「これからはインターネットの時代。家で仕事をして、時々東京に来てくれたら」と。「これからは場所を問わない。インターネットを駆使して世の中を変えようじゃないか!」と言われ入社を決めました。

ところがITバブルがはじけちゃって、投資してくれるという話など全部なくなってしまいました。ゼロから営業をして、売上を作ろうとするもなかなか上手くいかず、非常に苦労しました。その後ヒット商品が生まれて売上が増えていったのですが、メディアに取り上げられたことがきっかけでさらに広がり、PRの力の大きさを実感しました。

その会社で12年働き、西日本支店長やマーケティング広報室長も務めました。ゼロから組織や製品を作ったり、営業をしたり、スタートアップとして何もないところから売上を作る大変さが身に染みました。

東京のスタートアップで働いていた頃。在宅勤務から近所にオフィスを借り、徐々に拡張

ビジネススクールを経て独立するも上手くいかず・・・試行錯誤し世の中のニーズや自分の強みに気づく

八尾:
スタートアップ支援を強みとされているのは、ここでの経験が元になっているのですね。そこから独立に至った経緯は?

西山:
苦労した一方ですごくやりがいを感じていたのですが、そろそろ自分でやってみたいなという気持ちがでてきました。そして昔から憧れもあったビジネススクール(MBA)に2011年に入学しました。働きながら通いましたが、そこで経営者の人のお話を聞いているうちに面白いなと思い、ビジネススクールに在学中の時に退職して独立しました。

八尾:
仕事をしながら通われたんですね。大変ですよね。その頃お子さんは?

西山:
中学生と高校生でしたね。それまでは子育てが大変だったけれど、週末も部活に行ったりするから暇だなと。

八尾:
暇というのが西山さんらしいですね(笑) いろいろある中でMBAを選ばれたのはなぜですか?

西山:
自分は現場レベルでP&Gや中小企業でやってきているけど、体系的にビジネスを理解したいなと思って。同志社のビジネススクールは留学生向けのMBAコースのクラス単位も取れることを知って、日本にいながらMBA留学を体験できるのが魅力で入りました。

八尾:
実務経験に加え、ビジネススクールでも学ばれ、満を持して独立されたのですね。

西山:
それが最初はあまり上手くいかなくて・・・。いろんな企業にマーケティングやPRで支援できたらいいなとか、女性活躍支援ができたらいいなとは思っていたんですが、なかなか方向性が明確化できず、仕事も取れずに大変でした。

八尾:
そうだったんですね。いつもパワフルな西山さんを見ていると、上手くいかなかった時期があったとは想像できないですが・・・。その後は自然と仕事が集まって、今の形になったのですか?

西山:
そうですね。少しずつ増えてきた依頼に応えているうちに、だんだんと世の中のニーズや自分の強みが見えてきたんです。大企業とスタートアップの両方の経験があること、ビジネスの根幹である戦略を考えること、またそれを中小企業やスタートアップという、リソースが限られた中で実行に向けて落とし込んでいくこと、これが私の強みだと感じてきました。広報だけの仕事も経験しましたが、マーケティングがきちんとできていないと上手くいかないと感じ、「広報をマーケティング込みで考える」という今のスタイルになりました。

八尾:
それが今に繋がるんですね。いろんなPR会社がある中で、お客様が西山さんを選ばれる理由はどういうところにあると思いますか?

西山:
お客様の声を見ていると「伴走してくれる」という評価いただいていますね。チームとして動いたり、一緒になって考えたりするようにしています。ミライフのコンセプトは「マーケティングのアウトソーシング」です。マーケティングや広報がないところに、チームとして入っていくことができます。単に広報するというよりもその会社をどうしていったらいいかっていう本質のところをマーケティングしたり、ブランディングを強めたり、相談に乗っていきたいなと思っています。

八尾:
頼もしい存在ですね。B2Bやスタートアップの、どんなところにマーケティングやPRの必要性を感じていますか?

西山:
B2Bは人との関係性や過去からの付き合いが大事だったり、技術が一番だったり、あまりマーケティングを考えてこなかった会社が多いのですが、今は競争すごく激しくなってきてるんですよ。コロナで世の中がガラッと変わりましたしね。すると、何で選ばれるかっていうのを明確にして差別化しないといけない。そういうことをしっかりやっていると事業としても安定してくるので、B2Bにおいてマーケティングが必要だと思っています

また、スタートアップはこれから出ていく会社なので、何ができるか、何が強みかはしっかりしておかないといけないし、それを発信していくことでどんな会社なのかや、そもそもの存在を知ってもらえる。そこから話が広がる可能性を感じているので、絶対にちゃんとマーケティングした方がいいですね。でも、業界にもよりますが、そこを内製できている所は少ないかと。少しでも改善したら効果が出やすいのでやった方がいいと思います。

「仕事が好きで、いろんな人に会うの好きで、新しいことをやっていくのが好き。なので好きなことだけでやってる」

八尾:
本業のほか、「NPO法人生態会」「関西広報100研究会」などさまざまな活動をされていますが、そういう活動をされている理由は?

西山:
個々の会社を支援する一方、関西全体を少しでも広く盛り上げたいなという気持ちがあるんです。2015年に、あるスタートアップ広報の方が「関西で広報するって難しいですよね」みたいなことを、セミナー後の懇談会でおっしゃっていたんですよ。関西は関東に比べてメディアの数が少ないので、広報同士みんなで紹介しあったらどうかと言うことで、まずは飲み会のような形で、いろんな会社の広報さんを友達ベースで集めてやったのが「関西広報100研究会」の始まりです。すると「そんな広報のやり方あるんですか!」とかいうのもわかるし、すごく楽しくて。月に1回ぐらい持ち回りでやるようになり、今まで続いています。もう60回以上開催していますね。

八尾:
それが今まで続いているのはすごいですね。たしかに広報同士の横のつながりってあまりないので、貴重な機会です。「生態会」の方はどういうきっかけですか?

西山:
理事長のアレン・マイナーが経営するいくつかの会社のPRを私が担当していまして、その縁で参加しました。彼は今まで200社以上のスタートアップに投資している著名な投資家であり、上場しているところも多いんです。それで、「関西でスタートアップが成長するには、もっと起業環境を充実させる必要がある、豊かなエコシステム(生態系)が必要だ」ってことで2018年に、NPO法人生態会が設立されたのです。関西にもっと面白いスタートアップができたら、私も楽しいなあと思って入りました。

八尾:
そうなんですね。いろんな活動されている原動力ってどこにあるのかなと思ったんですが、人助けをしたいという思いがあるのでしょうか?

西山:
原動力というほどではないんですけど、仕事が好きで、いろんな人に会うの好きで、新しいことをやっていくのが好き。なので好きなことだけでやってるって感じですね。

八尾:
たくさん活動してしんどい!というよりは、動いている方が元気でそうですね!

パソナ女性幹部候補育成プログラムでの講義の様子

目指せマーケティング界のエリザベス女王!?死ぬまで仕事をしていたい

八尾:
今後はどうしていきたいとお考えですか?

西山:
もっとクライアントを増やして、いろんな産業の経験を付けたいなと思いますね。一緒にできるパートナーも、どんどん増やしていきたい。企業というよりはプロジェクトに応じて必要な人が集まってくると。映画を作ろうって言ったら、監督の下にその時々でいろんな専門家が集まってくるような。

八尾:
「○○制作委員会」みたいなやつですね。

西山:
そうそう。あんな風なモデルで、もっと大きなプロジェクトもどんどんやって行きたいなあと思う。

八尾:
「何歳で引退したい!」という方もいらっしゃいますが、西山さんは・・・

西山:
フォーエバー!舞台で死ねたら本望、とかいうじゃないですか。このコワーキングオフィスで仕事中に死ねたらいいなと思うんですが、みんなに「めっちゃ迷惑ですよ」って言われる(笑)。あるいは、ベッドの脇に若いスタートアップの方が来て「西山さん相談に乗ってください」って言われて「そうだね、それは〇〇さんに話をするといいよ」ってずっと電話したりするのが理想ですね。

八尾:
亡くなる直前まで仕事をする。マーケティング界のエリザベス女王ですね。

西山:
そうそう(笑)それはちょっと言い過ぎかも知れないけど、本当にそう目指したい。96歳までちょっと長いけど、まあでもイメージとしては死ぬまでなんかできることがあればしたいなあと思います。

八尾:
ずっと働いてるようなイメージですが、オフの時はどのようにリフレッシュされていますか?

西山:
私ワインが好きなんです。コロナのときはワインスクールに通ってました。あの頃飲食店でお酒が全然出せなくなったじゃないですか。お酒好きなんで、どこで飲めるんやろうと思って和歌山とかまで行ったりしてて(笑)コロナでほんまに暇でしたしね。それで、いろいろ調べていたら、ワインスクールに行けば教材としてワインが飲めることを発見したんです!毎週土曜日に行って5杯ぐらいワインを飲み、文化や歴史、ブランド管理なども勉強して。一応、初級コースに合格もしましたね。

八尾:
ワインのスクールまで通われていたのですね(笑)

西山:
あと旅行が好きで、コロナ前は海外に年に1回行くようにしてました。今はコロナでちょっと行ってないけど、ワーケーションと称して行ける時は行ったりしますね。旅をすると、視野が広がり、見識も得て仕事にも役に立ちます。

八尾:
ガッー!っと働いてオフはスパッと切り替える!というタイプではないですね?

西山:
仕事も趣味のひとつみたいな感じで境目がないですね。去年春休みに娘と一緒に2週間ぐらい九州にいたんですけど、福岡にいる友達に会ったり、熊本でお馬さん乗ったりして。その時ちょうど日経新聞のオンライン取材があったので、大分でWiFiを求めてスタバに入ったのですが、立派な記事になりました(笑)。これはすごい、どこでも仕事ができるってびっくりしましたね。

八尾:
2000年代初期にそれをおっしゃっていたあの社長さんすごいですよね。

西山:
そう!本当にどこでもできるんですよ。さらにお客様やメディアの方もそういう意識になり、やりやすくなりましたね。

八尾:
ここまでいろいろお伺いしましたが、最後に西山さん個人の“ミライフ”を教えてください。

西山:
今はできるだけ長く元気に、仕事をしたいです。自分の知らない世界をもっと見てみたいなと思いますね。新しいクライアントさんに出会うと、知らない世界を深く見ることになるので、いろんな会社さんとお付き合いして自分も勉強できるのはいいですね。あと海外やグローバルな仕事とかをもっと深めていきたいです。

八尾:
ありがとうございました!

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